2008年01月21日
【続編】ちゅーそん氏のハワイ旅行記
前のエントリーに続く。
いい旅だね!
いい旅だね!
第5話 RPG in Hawaii。
ハワイ5日目。ショッキングな出来事の翌日ではあったけど、ハワイはこの日も清々しい天気でなんともさわやかな目覚めになった。
顔を洗ってからなんとなく台所へ行ってみる。朝食のサービスとかはないので、基本的に食べ物は自分で用意しておく。もちろん僕は自分の食べ物なんて持っていなかったのだが、ちょうど台所にいたホテル客で日本人のおばさんがゆで卵とパンを分けてくれた。やさしい。話しをしてみると、そのおばさんはチバさんという方で、素性も謎でなんとも不思議な人だった。しばらくこのユースホステルに滞在しているそうなのだが、翌日出発するらしい。なぜ、おばさんはこのハワイのユースホステルに長らく滞在しているのだろう。ここで何をしているのだろう。その理由はわからずじまいであった。
チバさんに分けてもらったパンとゆでたまごでかんたんな食事を済ませてから庭に出ると、オーナーおばあちゃんがいてすぐに従業員小屋に呼ばれた。そこにはおばあちゃんの娘さんがいた(娘といってもかなりのおばさんだけど)。おばあちゃんが日系人っぽいということもあり、そのおばさんも見た目は日本人に近い。そしていくつか日本語の単語を知っているみたいだ。そんなオーナーの娘おばさんが僕が帰国をする手続きに関していろいろと協力してくれるとのこと。
おばさん「なんだか大変な目にあったみたいだねぇ。帰国にはいろいろ手続きが必要だろうから、なんとかしてやるよ。まずは領事館に電話しないとだね」(英語)
そういっておばさんはさっそく領事館の番号を調べ、電話をかけた。なんだか豪快で展開が速いが、とっても心強い人だ。
領事館の職員の人と電話をする。相手は日本の人なので、日本語を話すのはどこか安心する。
ちゅ「じつはこういった事情でして、パスポートを発行してもらいたいのですが」
職員「パスポートだと1週間くらい時間がかかるから、帰国のための渡航書になるね。それだと即日発行だから。だけど今日は日曜日だから明日領事館に来てもらえるかな。」
ちゅ「明日ですか!?なんとか今日発行できませんでしょうか。帰国のフライトが明日の朝なんですよ。」
職員「う〜ん、なんとかしてあげたいところだけどそれはやはり無理だねぇ。」
ちゅ「わかりました〜」
職員「航空会社に連絡をすればきっと何とかしてもらえるよ。それと、渡航書の発行には証明写真2枚と、手数料23ドルが掛かりますので一緒に持ってきてください。ポリスレポートも忘れないように。」
ちゅ「あ、お金もすべて盗まれてしまって、手持ちがほとんどないのですが…」
職員「なるほど。そうしたらワイキキに行ってJCBプラザというところがあるからそこで臨時のクレジットカードを発行してもらってください。そうすればキャッシングも可能になるからお金が手に入りますよ」
ちゅ「わかりました。ありがとうございます」
ということで、領事館との電話が終了。そして予定通りには帰国できないことが決定。一日滞在延期である。さて、自宅にはどう伝えたらいいもんか。
そしたら今度はおばちゃんが航空会社に電話をかけてくれるという。搭乗予定のチャイナエアラインに電話をかけて交渉をしたところ、そういったケースなので無料で翌日のフライトに変更してくれた。こちらでもポリスレポートは忘れずに、とのこと。意外とあっさり。
ここで、自分が帰国までにやるべきことがわかった。
・まず、ワイキキまでいって借りているモペッド(原付)を返却。
・そしてJCBプラザに行って臨時クレジットカードを発行してもらい、お金を調達する。
・そのお金で証明写真を撮影し、それを持って翌日領事館で渡航書を手に入れる。
というわけだ。なんだかロールプレイングゲームみたいになってきた。しかもお金が手に入ればカワイさんにもクギヤさんにも頂いたお金を返すことができるかもしれない。帰国の目処も立ってきたので俄然やる気が出てきた。
そして、オーナーの娘おばさんが一枚のカードをくれた。
おばさん「これ、私のだから貸してあげるよ。帰るときには返して。」
といって渡してくれたのは、ザ・バスのフリーパス。ザ・バスとは、オアフ島全土を網羅する市営バスだ。これがあれば原付を返したあとでも、交通手段にはこまらないしかもタダだ。さらにバスの路線図もくれた。こいつは大いに役に立ちそうだ。
さっそく身支度を整えて、ワイキキまでバイクをかっ飛ばす。まずは借りているこのモペッドの返却だ。相変わらず、ハワイの日差しを浴びながらワイキキの街中を駆け抜けるのは最高に気持ちがいい。それが味わえるのもこれでおしまいかと思うと名残惜しくなってしまうが、そんな悠長なことを言っていられる状況でもない。最後に海岸沿いを走って、レンタルバイクショップへ向かった。そこには昨日と同じ、日本人の美人お姉さん店員がいた。
店員「おかえり。楽しめた?どこまでいってきたの?」
ちゅ「いや〜最高でした。パールハーバーのあたりと、あとはこのワイキキ周辺を回って楽しんでましたよ」
と、特に意味はないがウソをついてみた。前日借りる際に「このバイクならせいぜいパールハーバーまで」といわれていたので、「ワイアナエの先までいってそこで荷物を盗まれた」なんてことは、なんとなく言えそうになかった。
無事にバイクを返したら、今度はお金の調達だ。領事館の人に教えてもらったJCBプラザというところはここからそう遠くない。とりあえずワイキキの街を歩いてそこまで行くことにする。
ハワイは気温はだいぶ高いのだが、日陰ならば陽気もカラッとしているのでそこまで暑くない。ビルの多いワイキキは、意外と過ごしやすかったりする。しかも、ハワイに来てからワイキキ市街は車やらバイクやらでたくさん回っているので、いつのまにか土地勘ができていた。
迷うことなく、JCBプラザに到着。とあるショッピングセンターの中に入っていた。さっそく受け付けにいくと、素敵な女性が笑顔で迎えてくれた。その女性に事情を説明すると、
「それは大変でしたね。順番が来ましたらお呼びしますので、そちらのロビーでおくつろぎください」
と、とても親切な対応をしてくれた。ロビーにはソファーが並んでいて、ホテルのようである。リラックスできる銀行といった印象だ。そこで待つこと10分、カウンターに呼ばれ、ひとりの女性社員が応対してくれた。女性社員はムームーというアロハシャツのワンピース版のような服で、お仕事をしていた。受付の女性からすでに事情を引き継いでもらっていたようで、席につくなり非常にやさしく接してくれた。そのおかげで、自分も安心感を抱くことが出来た。
ちゅ「ということなので、こちらで臨時のクレジットカードを発行できると伺ったので、それをお願いします」
「かしこまりました。すぐに手配させていただきます」
話はトントン拍子に進み、いくつか書類に必要事項を記入して、ロビーで待つことに。
しばらくすると、女性社員が血相を変えて戻ってきて、こう言った。
「中村様、大変申し訳ございませんが、中村様はすでに当社のJCBカードをご利用なさっていて、現時点でご利用限度額を超えていらっしゃいます。なので発行することが難しいのですが…」
思わぬ事態が発生。そう、今回の旅行では最初の3日間友人たちと過ごしている間も代表して自分のクレジットカードを使ってすべて支払っていたので、学生カードの利用限度額である10万円をすでにオーバーしていたのだ。せっかく希望が見えてきたところだったのだが、暗雲が立ち込めてきた。一難去ってまた一難である。世の中そうすんなりとはうまくいかないということか。
ちゅ「そこをなんとかしていただけないでしょうか。ここでお金が得られないとどうにもできず帰国もできないもので…」
と、切実に訴えてみた。すると女性社員の方はしばらく考えてから、
「わかりました。上と掛け合ってみて、なんとかしてみます」
といって、事務所の裏のほうへ消えていった。
待つこと15分ほど、女性社員が戻ってきて、
「今回は特例ということで、上限を上げてカードを発行させていただくことになりました。今から手続きをして発行いたしますので、1時間ほどお時間を頂戴してもよろしいでしょうか。」
こうして、女性社員の方が一生懸命上司とりあってくれたおかげでなんとかカードを手に入れられた。たった一人のマヌケながきんちょのために、とてもやさしく、親身になってくれた女性社員の方に深く感謝して、JCBプラザをでた。
手に入れたカード使ってキャッシング。現在手持ちの資金は、警察がくれた20ドル、カワイさんがくれた10ドル、そしてクギヤさんがくれた40ドル、これらを足した70ドルからガソリン代や電話代などを差し引いた60ドル強。
これから先に必要とする費用を見積もってみると、2日間の宿泊代金34ドル、渡航書の発行手数料23ドル、渡航書のための写真10ドルくらい、食費20ドル、そしてユースホステルから空港までのタクシー代25ドル。つまり、100ドル強で収まる。よし、100ドルキャッシングしよう。そうすれば、手持ちのお金は160ドル。それだけあればカワイさんとクギヤさんにはお金をお返しすることができそうだ。
そんな計算をして僕はついに100ドルをキャッシング。ついに自分の現金を手に入れた。お金の大切さが五臓六腑に染み渡る経験だった。
第6話 手に入れた渡航書、帰国の準備は整った。
JCBプラザにてなんとか現金を確保。そして次にやることは証明写真の撮影。これをクリアしてしまえば今日はもうやることはない。
そこで、証明写真を撮影しにいく前に、アンバサダーホテルに立ち寄ることに。そこは昨日10ドル分けてくれたカワイさん夫妻が宿泊しているホテルだ。帰国できるまでの現金もてに入れられたことだし、それを報告がてらお礼とお金を返しにいこうと思った。アンバサダーホテルはJCBプラザからそう遠くないので、そのまま直行した。
ホテルに着いたらフロントでまずペンと封筒をメモ用紙を借りる。そんでロビーでお礼の手紙を書いて、お金といっしょに封筒に入れて準備OK。さぁフロントからお部屋に内線をつないでもらおうと思ったら、ちょうどカワイさん夫妻がエレベーターから降りてきた。思わぬ再会に両者で驚きである。
ちゅ「ちょうど今内線をかけてもらおうと思っていたところでした。昨日は本当にどうもありがとうございました。あのあと、いろいろと大変でしたがなんとか帰国の目処もたって、お金も調達することができました」
カワイさん「いや〜無事でよかったよ。僕らも気に掛かってたんだ。わざわざ来てくれてありがとう」
2人はちょうどビーチに出かけようとしたところだったらしい。車上荒しにあった際、デジカメも盗まれてしまったらしく、それが悔しいからもうひとつのデジカメで同じ写真を取り直しにいくといって張り切っていた。その前に3人でロビーに座り少し談笑。
カワイさん「お互いとんだハワイ旅行になっちゃったね。でも、ここで出会ったのも何かの縁だし、日本に戻ったら食事にでもいきましょうよ!」
そうしてお互いの連絡先を交換して、二人の恩人はワイキキのビーチへ向かった。昨日はあまり気がつかなかったが、奥さんが美人だったので羨ましいと思った。
カワイさんたちと再会を約束した後は本来の目的を果たすべく、歩いてハワイ最大級のショッピングモール、アラモアナ・センターへ。その中にあるフォトショップで、渡航書に必要な証明写真を撮影。10ドルもしたその写真には、日焼けでタイ人に変貌していた自分が写っていた。ひどいもんだ。
証明写真も手に入れたことで、明日領事館で渡航書を手に入れる準備が整った。これで今日はもうやることがない。
おばちゃんから貸してもらったバスのフリーパスでハワイ大学前まで移動し、ユースホステルに戻る。帰ったらオーナーばあちゃんが従業員小屋から飛び出してきて
「どこいってたんだい。遅いじゃないか。」
と言った。僕のことを心配して待っててくれていたようだ。ちゃんと必要なものを手に入れて、翌日領事館に行く準備が整ったことを伝えると安心したみたい。心配かけてごめんなさい。
時間は17時。あたりは夕焼け色に染まって非常に情緒的になっていた。この日もお昼ご飯を食べるのを忘れていたので、ちょっと早い夕食を買出しに、最寄のスーパーのほうまで散歩。歩いて10分、ちょうどそこにコンビニと併設して定食屋があったので、そこで夕食を購入。ロコモコ、コーラ付きで4ドル。それを買って帰り、ユースホステルの庭にあるベンチで食べた。とっても安くて、味も家庭的でおいしい。ハワイの夜は涼しくて気持ちがよかった。気がつけば、ひとりで海外にいる今の状況が当たり前のようになっている。一人なので物思いにふけることしかないから、庭でハワイの夜空を見上げてみた。とんでもない災難に遭ってしまったんだけど、今では穏やかな気持ちになっていた。それもきっとハワイののどかな環境と心優しい人々が支えてくれたおかげだろう。
19時頃、バックパックから洋服にくるんであったので盗まれずにすんだMDウォークマンを取り出して音楽を聴く。持ってきた曲は、尊敬してやまない長渕剛。ドミトリーの部屋には他の滞在客もいたけど、まだ戻ってきていない。ひとりベッドに横になって、長渕を聴いていたら不思議と心に沁みる。人のやさしさや逆境での葛藤を歌う彼の曲が、今の自分に響くものがあったのだろう。そうして音楽を聴きながら、この日は早々と深い眠りについてしまった。
ハワイに来て6日目の朝を迎えた。本来ならばこの日のフライトで日本に帰る予定だったけど、渡航書が手に入らなかったので翌日に延期である。
昨夜は20時前に就寝してぐっすりと眠ったこともあり、疲れもだいぶ取れた。快晴に恵まれたハワイの朝は最高だ。さっそく庭に出て自然を眺めていたら、黄緑色したトカゲを発見。まるでカメレオンのよう。そいつを捕まえて遊んでたら、一人の宿泊客が出てきて目が合ったので、さわやかに挨拶してみた。
ちゅ「ぐっもーにん」
男「Good morning! 俺は本土のニュージャージーから来たジェフリー(と聞こえた)ってんだ。よろしく!キミは?」
ちゅ「僕は日本からきたKAZUKIって言うんだ。はじめまして。」
とまぁ、憧れていた旅人同士の挨拶を交わし、握手をした。
ジェフ「俺はこれから東側の海岸あたりを周る予定なんだけど、キミはどうするんだい?」(彼はネイティブの方なので、自分のリスニング力ではうまく聞き取れなかったがたぶんこんなことを言っていたと思う)
ちゅ「実は一昨日パスポートとか財布とか盗まれちゃってさ、これから領事館にいかなきゃいけないんだ」
ジェフ「そりゃ災難だったなぁ。いいことあるよ。とりあえず俺はこれで!」
そんな会話をした。ささいなことだが、こんな感じでいろんな国の旅人と会話をすることに憧れていたのでとっても感動。もはやいっぱしのバックパッカー気分になっちゃって、自分に酔いしれた。
それはさておき、僕はリアルロールプレイングゲームの続きをしなくてはならない。今日はいよいよ領事館に行って渡航書を手に入れるのである。オーナーの娘おばちゃんから領事館までのバスマップをもらっていたので、それを頼りに出発。
平日の昼間ということで、バスにはお年寄りがいっぱいだ。このあたりは海から離れている。窓からの景色も住宅ばかりで生活感が漂ってくる。バスに揺られているとハワイの生活に溶け込んでいる自分に気がついて、移住してもやっていけそうな気がした。
バスに乗ること15分くらい、日本領事館前に到着。ゲートにガードマンがいたので、事情を説明して中に入れてもらう。受付で書類に必要事項を記入して提出。発行は午後2時過ぎになるらしい。それまで時間がたっぷりあるので、ひとまずダウンタウンのほうまで繰り出すことに。
ダウンタウンのあたりは宮殿や教会、政府機関の建物などがたくさんあり、おまけに緑も溢れているので景観が非常に美しい。東京は建物が乱立されていて狭苦しいけど、このあたりは建物が多い分自然もたくさんあるし、道も広いからとても快適だ。
カウイアハオ教会、イオラニ宮殿、カメハメハ大王像、ハワイ州最高裁判所、アロハタワーといろんな名所を見て歩いた。気がつけば普通にハワイ観光をしている。たくさん大変な目にあったけど、なんだかんだで本来の目的を達成できてしまっているのだ。ただ悔しいのは、デジカメを盗まれてしまったのでこの思い出を写真に残しておけないこと。
3時間ほど観光を楽しんだところで、渡航書を受け取りに再び領事館へ。その途中、公衆電話を使って自宅に国際電話をする。身分証明のために領事館から本人確認の連絡をするとのことで、それを事前に伝えておかなくてはいきなりハワイから電話がかかってきたら驚くだろう。何より、帰国が1日遅れることを連絡しなければ心配をかけてしまう。
ちゅ「もしもし、俺だけど。パスポート落としちゃって見つからないから、帰国が1日遅れるわ。」
母「…。ばかね〜。とりあえず無事ならなんでもいいわ。気をつけて帰ってらっしゃい。」
とりあえず、財布から何から何まで盗まれたなんてことは帰宅してから話そうと思って、この場ではパスポートを落としたという設定で済ませた。
そして領事館に戻り、ついに渡航書をゲット。バイクの返却から始まり、お金の調達し、カワイさんにお金を返し、証明写真やらなんやらを準備して結局2日がかり。なので渡航書を受け取ったときは自然と大きな達成感に満ちた。
これでついに帰国の準備が整ったわけである。
最終話 別れ、最悪の出来事と最高の思い出。
渡航書を手に入れた後も、まだ時間があったので、アラモアナまで再びバスで行ってそこからワイキキにあるホノルル動物園のあたりまでビーチをひたすら歩いた。ヒルトンホテルのすぐ前のビーチでは、ウミガメが泳いでいるのが見えた。そしてワイキキのビーチに差し掛かるころには夕方になってきて、夕日がダイヤモンドヘッドを赤く染めていた。海は青く力強かった。その雄大な景色を眺めていたら、よくわからないけど涙が流れた。なんだかんだで、明日には帰国できる。なのでこれがハワイを満喫する最後の時間。そう思うとどこかさびしい気持ちが湧いてきたのと同時に、この本当にいろいろあったこの3日間が自然と思い返されて、辛かったり嬉しかったりした感情がこみ上げてきたのだ。
バスに乗って、ハワイ大学前へ。もはや慣れた道である。ユースホステルに戻る前に、最後にもうひとつやることがある。それは、クギヤさんに40ドルをお返しすること。無事に渡航書も手に入り、あとは翌日空港へ行くまでのタクシー代と食費が少々かかるだけ。手元にはまだ90ドルほど残っているので、40ドルを返しても帰宅できる目処が完全についたのだ。
盗まれたあの日の夜の記憶を頼りに、クギヤさんの家まで歩く。20分ほどして、見覚えのある道に出たところで家を見つけた。そのときクギヤさんはいなかったのだが、同居しているクギヤさんの妹さんがいらっしゃったので、事情を説明して40ドルを渡してその場を後にした。
あとは帰宅の準備を整えるだけ。ユースホステルに戻るとおばちゃんがいたので借りていたバスのフリーパスを返した。すると
おばさん「母があなたのことを心配していたから、帰国の前に電話してあげて」
といって自宅にいるというオーナーおばあちゃんに電話をつないでくれた。
翌朝は5時30分に空港までのタクシーを予約してくれたということで、もうおばあちゃんと会える機会はない。この電話でお別れになる。
ちゅ「もしもし、おばあちゃん。渡航書も手に入れたから、明日ちゃんと帰国できることになったよ。いろいろとありがとう。」
ばあちゃん「よかったね。3日なんてあっという間だったね、もっと長くいればいいのに。」
そう言ってくれた瞬間、あのやさしいおばあちゃんの姿が目に浮んできて、受話器を持ちながら僕はボロボロ泣いた。
ばあちゃん「いろいろあって大変だったけど、またハワイにおいでね。待ってるからね。」
その言葉は、カタコトの日本語だった。僕は何度も何度も、「ありがとう」を繰り返し、
ちゅ「ハワイはとてもエンジョイできたよ。きっとまたハワイに遊びにくるよ。」
と言って、最後の電話を切った。
おばちゃん「母は日系2世なのよ。だからあたしは日系3世になるんだ。日本語もちょっとだけ知ってる」
そう言って、おばちゃんもカタコトの日本語を少しだけ話した。
ハワイを去る前にもうひとつお礼を言わなければならない人がいる。夜の8時を回ったところで、ホテルの公衆電話からクギヤさんの家に電話をかけた。するとクギヤさん本人が電話にでた。
ちゅ「明日、日本に帰れることになりました。クギヤさんのおかげです。どうもありがとうございました。」
クギヤさん「よかったねぇ。気に掛かっていたんだ。妻も喜んでいるよ。」
そう話しているうちに、あの日、見ず知らずの僕に親身になってくれたクギヤさんのやさしさが思い出されて、また涙がこみ上げてきた。
ちゅ「本当にありがとうございました。このご恩は決して忘れません。」
泣くのを必死でこらえながら、心からお礼を言った。僕の中学レベルの英語を、一生懸命になって聞いてくれて、クギヤさんは受話器の向こうでやさしく声をかけてくれた。
クギヤさん「気にすることはないよ。またハワイに遊びにおいで。お元気で。」
僕のハワイの恩人は、最後まで紳士的だった。
これでハワイでやり残したことは何もない。僕は部屋に戻って、荷物をまとめた。一日中歩き回った体は疲れ果てていて、帰国の準備を整えたらあっという間に眠りに落ちていった。
翌朝5時過ぎに起床し、身支度を整えて出発する。外はまだ薄暗い。最後に、ベッドの上に簡単なお礼の手紙を書いて、思い出のたくさん詰まったユースホステルを出発した。そしてタクシーでホノルル空港へいき、8時45分のチャイナエアラインで日本へと飛び立った。
長いフライトを終え、ついに日本に帰ってきた。たった1日帰国が遅れただけなんだけど、なんだか1年くらい日本を離れていたような心地がする。渡航書というアブノーマルな手続きのため、若干時間がかかったが無事に帰国。あまった14ドルを残らず円に両替し、帰宅の途へ。京成線と京浜東北線を乗り継ぎ、ついに帰宅した。そのとき手元に残ったお金はわずか557円だった。我が家に着いたときの達成感と安堵感は、未だかつて味わったことがない感覚だった。
こうして、全8日間に及ぶハワイ旅行は幕を閉じたのである。
今回の旅を通じて、日本という平和で豊かな国で生まれ育ち、安穏と暮らしていた自分がはじめて「生きる」ことに必死になった。そして人のやさしさにたくさん触れることができた。
異国の地で荷物をすべて盗まれるという絶望的な状況に陥ったにもかかわらず、帰国したときには幸せな想いでいっぱいだった。それは、多くのやさしさ溢れる人たちに出会えたおかげだろう。
荷物を盗まれ途方に暮れていた僕に、力を貸してくれたホームレスの人々。
お金のない自分に、何も言わず20ドルを差し出してくれた警察官。
自分と同じように金品を盗まれたにもかかわらず、貴重なお金を分けてくれたカワイさん夫妻。
見ず知らずの僕に「私たちの息子と同じ歳だから」と親身になってくれて、40ドルまでくれたクギヤさん。
まるで自分のことのように心配してくれたユースホステルのオーナーおばあちゃん。
帰国までの手続きをたくさん手伝ってくれたオーナーおばあちゃんの娘おばちゃん。
疲弊しきった僕をやさしく出迎えてくれて、カップヌードルを差し入れてくれたホステル従業員のマット。
さらには、道を教えてくれた女の子たち。臨時クレジットカード発行時に上司と掛け合ってくれたJCBプラザの女性社員の方。無料でフライトを変更してくれたチャイナエアライン。
たくさんの素敵な人々に恵まれたおかげで、自分史上最悪の出来事は、自分史上最高の思い出に変わっていった。感謝してもし尽くせないくらい、たくさんのやさしさを与えてもらった。
そしてこの経験は僕に大切なことを学ばせてくれた。当たり前だけど、普段意識しないようなこと。
僕はちっぽけな人間だから、一人では生きていけない。誰かに支えられて生きている。だから自分も、誰かの支えになってあげなくてはいけない。
それでも僕はダメな人間だから、すぐに傲慢になってしまう。だけど、時折このハワイでのことを思い出して、人にやさしくすることの大切さを確かめたい。
2006年の10月、僕がハワイで体験したウソのような本当の話。書いていたらあの時の状況が思い浮かんで、何度か泣きそうになった。完全ノンフィクション。それどころか、話の多くは簡略化してあるくらい。この経験は、絶対にカタチとして残しておきたいと思ったので書き綴ってみました。
今度は2月に欧州一人旅。ハワイのことは最高の思い出だけど、同じ経験はもう二度としたくないです笑。気をつけていってきます。
ハワイ5日目。ショッキングな出来事の翌日ではあったけど、ハワイはこの日も清々しい天気でなんともさわやかな目覚めになった。
顔を洗ってからなんとなく台所へ行ってみる。朝食のサービスとかはないので、基本的に食べ物は自分で用意しておく。もちろん僕は自分の食べ物なんて持っていなかったのだが、ちょうど台所にいたホテル客で日本人のおばさんがゆで卵とパンを分けてくれた。やさしい。話しをしてみると、そのおばさんはチバさんという方で、素性も謎でなんとも不思議な人だった。しばらくこのユースホステルに滞在しているそうなのだが、翌日出発するらしい。なぜ、おばさんはこのハワイのユースホステルに長らく滞在しているのだろう。ここで何をしているのだろう。その理由はわからずじまいであった。
チバさんに分けてもらったパンとゆでたまごでかんたんな食事を済ませてから庭に出ると、オーナーおばあちゃんがいてすぐに従業員小屋に呼ばれた。そこにはおばあちゃんの娘さんがいた(娘といってもかなりのおばさんだけど)。おばあちゃんが日系人っぽいということもあり、そのおばさんも見た目は日本人に近い。そしていくつか日本語の単語を知っているみたいだ。そんなオーナーの娘おばさんが僕が帰国をする手続きに関していろいろと協力してくれるとのこと。
おばさん「なんだか大変な目にあったみたいだねぇ。帰国にはいろいろ手続きが必要だろうから、なんとかしてやるよ。まずは領事館に電話しないとだね」(英語)
そういっておばさんはさっそく領事館の番号を調べ、電話をかけた。なんだか豪快で展開が速いが、とっても心強い人だ。
領事館の職員の人と電話をする。相手は日本の人なので、日本語を話すのはどこか安心する。
ちゅ「じつはこういった事情でして、パスポートを発行してもらいたいのですが」
職員「パスポートだと1週間くらい時間がかかるから、帰国のための渡航書になるね。それだと即日発行だから。だけど今日は日曜日だから明日領事館に来てもらえるかな。」
ちゅ「明日ですか!?なんとか今日発行できませんでしょうか。帰国のフライトが明日の朝なんですよ。」
職員「う〜ん、なんとかしてあげたいところだけどそれはやはり無理だねぇ。」
ちゅ「わかりました〜」
職員「航空会社に連絡をすればきっと何とかしてもらえるよ。それと、渡航書の発行には証明写真2枚と、手数料23ドルが掛かりますので一緒に持ってきてください。ポリスレポートも忘れないように。」
ちゅ「あ、お金もすべて盗まれてしまって、手持ちがほとんどないのですが…」
職員「なるほど。そうしたらワイキキに行ってJCBプラザというところがあるからそこで臨時のクレジットカードを発行してもらってください。そうすればキャッシングも可能になるからお金が手に入りますよ」
ちゅ「わかりました。ありがとうございます」
ということで、領事館との電話が終了。そして予定通りには帰国できないことが決定。一日滞在延期である。さて、自宅にはどう伝えたらいいもんか。
そしたら今度はおばちゃんが航空会社に電話をかけてくれるという。搭乗予定のチャイナエアラインに電話をかけて交渉をしたところ、そういったケースなので無料で翌日のフライトに変更してくれた。こちらでもポリスレポートは忘れずに、とのこと。意外とあっさり。
ここで、自分が帰国までにやるべきことがわかった。
・まず、ワイキキまでいって借りているモペッド(原付)を返却。
・そしてJCBプラザに行って臨時クレジットカードを発行してもらい、お金を調達する。
・そのお金で証明写真を撮影し、それを持って翌日領事館で渡航書を手に入れる。
というわけだ。なんだかロールプレイングゲームみたいになってきた。しかもお金が手に入ればカワイさんにもクギヤさんにも頂いたお金を返すことができるかもしれない。帰国の目処も立ってきたので俄然やる気が出てきた。
そして、オーナーの娘おばさんが一枚のカードをくれた。
おばさん「これ、私のだから貸してあげるよ。帰るときには返して。」
といって渡してくれたのは、ザ・バスのフリーパス。ザ・バスとは、オアフ島全土を網羅する市営バスだ。これがあれば原付を返したあとでも、交通手段にはこまらないしかもタダだ。さらにバスの路線図もくれた。こいつは大いに役に立ちそうだ。
さっそく身支度を整えて、ワイキキまでバイクをかっ飛ばす。まずは借りているこのモペッドの返却だ。相変わらず、ハワイの日差しを浴びながらワイキキの街中を駆け抜けるのは最高に気持ちがいい。それが味わえるのもこれでおしまいかと思うと名残惜しくなってしまうが、そんな悠長なことを言っていられる状況でもない。最後に海岸沿いを走って、レンタルバイクショップへ向かった。そこには昨日と同じ、日本人の美人お姉さん店員がいた。
店員「おかえり。楽しめた?どこまでいってきたの?」
ちゅ「いや〜最高でした。パールハーバーのあたりと、あとはこのワイキキ周辺を回って楽しんでましたよ」
と、特に意味はないがウソをついてみた。前日借りる際に「このバイクならせいぜいパールハーバーまで」といわれていたので、「ワイアナエの先までいってそこで荷物を盗まれた」なんてことは、なんとなく言えそうになかった。
無事にバイクを返したら、今度はお金の調達だ。領事館の人に教えてもらったJCBプラザというところはここからそう遠くない。とりあえずワイキキの街を歩いてそこまで行くことにする。
ハワイは気温はだいぶ高いのだが、日陰ならば陽気もカラッとしているのでそこまで暑くない。ビルの多いワイキキは、意外と過ごしやすかったりする。しかも、ハワイに来てからワイキキ市街は車やらバイクやらでたくさん回っているので、いつのまにか土地勘ができていた。
迷うことなく、JCBプラザに到着。とあるショッピングセンターの中に入っていた。さっそく受け付けにいくと、素敵な女性が笑顔で迎えてくれた。その女性に事情を説明すると、
「それは大変でしたね。順番が来ましたらお呼びしますので、そちらのロビーでおくつろぎください」
と、とても親切な対応をしてくれた。ロビーにはソファーが並んでいて、ホテルのようである。リラックスできる銀行といった印象だ。そこで待つこと10分、カウンターに呼ばれ、ひとりの女性社員が応対してくれた。女性社員はムームーというアロハシャツのワンピース版のような服で、お仕事をしていた。受付の女性からすでに事情を引き継いでもらっていたようで、席につくなり非常にやさしく接してくれた。そのおかげで、自分も安心感を抱くことが出来た。
ちゅ「ということなので、こちらで臨時のクレジットカードを発行できると伺ったので、それをお願いします」
「かしこまりました。すぐに手配させていただきます」
話はトントン拍子に進み、いくつか書類に必要事項を記入して、ロビーで待つことに。
しばらくすると、女性社員が血相を変えて戻ってきて、こう言った。
「中村様、大変申し訳ございませんが、中村様はすでに当社のJCBカードをご利用なさっていて、現時点でご利用限度額を超えていらっしゃいます。なので発行することが難しいのですが…」
思わぬ事態が発生。そう、今回の旅行では最初の3日間友人たちと過ごしている間も代表して自分のクレジットカードを使ってすべて支払っていたので、学生カードの利用限度額である10万円をすでにオーバーしていたのだ。せっかく希望が見えてきたところだったのだが、暗雲が立ち込めてきた。一難去ってまた一難である。世の中そうすんなりとはうまくいかないということか。
ちゅ「そこをなんとかしていただけないでしょうか。ここでお金が得られないとどうにもできず帰国もできないもので…」
と、切実に訴えてみた。すると女性社員の方はしばらく考えてから、
「わかりました。上と掛け合ってみて、なんとかしてみます」
といって、事務所の裏のほうへ消えていった。
待つこと15分ほど、女性社員が戻ってきて、
「今回は特例ということで、上限を上げてカードを発行させていただくことになりました。今から手続きをして発行いたしますので、1時間ほどお時間を頂戴してもよろしいでしょうか。」
こうして、女性社員の方が一生懸命上司とりあってくれたおかげでなんとかカードを手に入れられた。たった一人のマヌケながきんちょのために、とてもやさしく、親身になってくれた女性社員の方に深く感謝して、JCBプラザをでた。
手に入れたカード使ってキャッシング。現在手持ちの資金は、警察がくれた20ドル、カワイさんがくれた10ドル、そしてクギヤさんがくれた40ドル、これらを足した70ドルからガソリン代や電話代などを差し引いた60ドル強。
これから先に必要とする費用を見積もってみると、2日間の宿泊代金34ドル、渡航書の発行手数料23ドル、渡航書のための写真10ドルくらい、食費20ドル、そしてユースホステルから空港までのタクシー代25ドル。つまり、100ドル強で収まる。よし、100ドルキャッシングしよう。そうすれば、手持ちのお金は160ドル。それだけあればカワイさんとクギヤさんにはお金をお返しすることができそうだ。
そんな計算をして僕はついに100ドルをキャッシング。ついに自分の現金を手に入れた。お金の大切さが五臓六腑に染み渡る経験だった。
第6話 手に入れた渡航書、帰国の準備は整った。
JCBプラザにてなんとか現金を確保。そして次にやることは証明写真の撮影。これをクリアしてしまえば今日はもうやることはない。
そこで、証明写真を撮影しにいく前に、アンバサダーホテルに立ち寄ることに。そこは昨日10ドル分けてくれたカワイさん夫妻が宿泊しているホテルだ。帰国できるまでの現金もてに入れられたことだし、それを報告がてらお礼とお金を返しにいこうと思った。アンバサダーホテルはJCBプラザからそう遠くないので、そのまま直行した。
ホテルに着いたらフロントでまずペンと封筒をメモ用紙を借りる。そんでロビーでお礼の手紙を書いて、お金といっしょに封筒に入れて準備OK。さぁフロントからお部屋に内線をつないでもらおうと思ったら、ちょうどカワイさん夫妻がエレベーターから降りてきた。思わぬ再会に両者で驚きである。
ちゅ「ちょうど今内線をかけてもらおうと思っていたところでした。昨日は本当にどうもありがとうございました。あのあと、いろいろと大変でしたがなんとか帰国の目処もたって、お金も調達することができました」
カワイさん「いや〜無事でよかったよ。僕らも気に掛かってたんだ。わざわざ来てくれてありがとう」
2人はちょうどビーチに出かけようとしたところだったらしい。車上荒しにあった際、デジカメも盗まれてしまったらしく、それが悔しいからもうひとつのデジカメで同じ写真を取り直しにいくといって張り切っていた。その前に3人でロビーに座り少し談笑。
カワイさん「お互いとんだハワイ旅行になっちゃったね。でも、ここで出会ったのも何かの縁だし、日本に戻ったら食事にでもいきましょうよ!」
そうしてお互いの連絡先を交換して、二人の恩人はワイキキのビーチへ向かった。昨日はあまり気がつかなかったが、奥さんが美人だったので羨ましいと思った。
カワイさんたちと再会を約束した後は本来の目的を果たすべく、歩いてハワイ最大級のショッピングモール、アラモアナ・センターへ。その中にあるフォトショップで、渡航書に必要な証明写真を撮影。10ドルもしたその写真には、日焼けでタイ人に変貌していた自分が写っていた。ひどいもんだ。
証明写真も手に入れたことで、明日領事館で渡航書を手に入れる準備が整った。これで今日はもうやることがない。
おばちゃんから貸してもらったバスのフリーパスでハワイ大学前まで移動し、ユースホステルに戻る。帰ったらオーナーばあちゃんが従業員小屋から飛び出してきて
「どこいってたんだい。遅いじゃないか。」
と言った。僕のことを心配して待っててくれていたようだ。ちゃんと必要なものを手に入れて、翌日領事館に行く準備が整ったことを伝えると安心したみたい。心配かけてごめんなさい。
時間は17時。あたりは夕焼け色に染まって非常に情緒的になっていた。この日もお昼ご飯を食べるのを忘れていたので、ちょっと早い夕食を買出しに、最寄のスーパーのほうまで散歩。歩いて10分、ちょうどそこにコンビニと併設して定食屋があったので、そこで夕食を購入。ロコモコ、コーラ付きで4ドル。それを買って帰り、ユースホステルの庭にあるベンチで食べた。とっても安くて、味も家庭的でおいしい。ハワイの夜は涼しくて気持ちがよかった。気がつけば、ひとりで海外にいる今の状況が当たり前のようになっている。一人なので物思いにふけることしかないから、庭でハワイの夜空を見上げてみた。とんでもない災難に遭ってしまったんだけど、今では穏やかな気持ちになっていた。それもきっとハワイののどかな環境と心優しい人々が支えてくれたおかげだろう。
19時頃、バックパックから洋服にくるんであったので盗まれずにすんだMDウォークマンを取り出して音楽を聴く。持ってきた曲は、尊敬してやまない長渕剛。ドミトリーの部屋には他の滞在客もいたけど、まだ戻ってきていない。ひとりベッドに横になって、長渕を聴いていたら不思議と心に沁みる。人のやさしさや逆境での葛藤を歌う彼の曲が、今の自分に響くものがあったのだろう。そうして音楽を聴きながら、この日は早々と深い眠りについてしまった。
ハワイに来て6日目の朝を迎えた。本来ならばこの日のフライトで日本に帰る予定だったけど、渡航書が手に入らなかったので翌日に延期である。
昨夜は20時前に就寝してぐっすりと眠ったこともあり、疲れもだいぶ取れた。快晴に恵まれたハワイの朝は最高だ。さっそく庭に出て自然を眺めていたら、黄緑色したトカゲを発見。まるでカメレオンのよう。そいつを捕まえて遊んでたら、一人の宿泊客が出てきて目が合ったので、さわやかに挨拶してみた。
ちゅ「ぐっもーにん」
男「Good morning! 俺は本土のニュージャージーから来たジェフリー(と聞こえた)ってんだ。よろしく!キミは?」
ちゅ「僕は日本からきたKAZUKIって言うんだ。はじめまして。」
とまぁ、憧れていた旅人同士の挨拶を交わし、握手をした。
ジェフ「俺はこれから東側の海岸あたりを周る予定なんだけど、キミはどうするんだい?」(彼はネイティブの方なので、自分のリスニング力ではうまく聞き取れなかったがたぶんこんなことを言っていたと思う)
ちゅ「実は一昨日パスポートとか財布とか盗まれちゃってさ、これから領事館にいかなきゃいけないんだ」
ジェフ「そりゃ災難だったなぁ。いいことあるよ。とりあえず俺はこれで!」
そんな会話をした。ささいなことだが、こんな感じでいろんな国の旅人と会話をすることに憧れていたのでとっても感動。もはやいっぱしのバックパッカー気分になっちゃって、自分に酔いしれた。
それはさておき、僕はリアルロールプレイングゲームの続きをしなくてはならない。今日はいよいよ領事館に行って渡航書を手に入れるのである。オーナーの娘おばちゃんから領事館までのバスマップをもらっていたので、それを頼りに出発。
平日の昼間ということで、バスにはお年寄りがいっぱいだ。このあたりは海から離れている。窓からの景色も住宅ばかりで生活感が漂ってくる。バスに揺られているとハワイの生活に溶け込んでいる自分に気がついて、移住してもやっていけそうな気がした。
バスに乗ること15分くらい、日本領事館前に到着。ゲートにガードマンがいたので、事情を説明して中に入れてもらう。受付で書類に必要事項を記入して提出。発行は午後2時過ぎになるらしい。それまで時間がたっぷりあるので、ひとまずダウンタウンのほうまで繰り出すことに。
ダウンタウンのあたりは宮殿や教会、政府機関の建物などがたくさんあり、おまけに緑も溢れているので景観が非常に美しい。東京は建物が乱立されていて狭苦しいけど、このあたりは建物が多い分自然もたくさんあるし、道も広いからとても快適だ。
カウイアハオ教会、イオラニ宮殿、カメハメハ大王像、ハワイ州最高裁判所、アロハタワーといろんな名所を見て歩いた。気がつけば普通にハワイ観光をしている。たくさん大変な目にあったけど、なんだかんだで本来の目的を達成できてしまっているのだ。ただ悔しいのは、デジカメを盗まれてしまったのでこの思い出を写真に残しておけないこと。
3時間ほど観光を楽しんだところで、渡航書を受け取りに再び領事館へ。その途中、公衆電話を使って自宅に国際電話をする。身分証明のために領事館から本人確認の連絡をするとのことで、それを事前に伝えておかなくてはいきなりハワイから電話がかかってきたら驚くだろう。何より、帰国が1日遅れることを連絡しなければ心配をかけてしまう。
ちゅ「もしもし、俺だけど。パスポート落としちゃって見つからないから、帰国が1日遅れるわ。」
母「…。ばかね〜。とりあえず無事ならなんでもいいわ。気をつけて帰ってらっしゃい。」
とりあえず、財布から何から何まで盗まれたなんてことは帰宅してから話そうと思って、この場ではパスポートを落としたという設定で済ませた。
そして領事館に戻り、ついに渡航書をゲット。バイクの返却から始まり、お金の調達し、カワイさんにお金を返し、証明写真やらなんやらを準備して結局2日がかり。なので渡航書を受け取ったときは自然と大きな達成感に満ちた。
これでついに帰国の準備が整ったわけである。
最終話 別れ、最悪の出来事と最高の思い出。
渡航書を手に入れた後も、まだ時間があったので、アラモアナまで再びバスで行ってそこからワイキキにあるホノルル動物園のあたりまでビーチをひたすら歩いた。ヒルトンホテルのすぐ前のビーチでは、ウミガメが泳いでいるのが見えた。そしてワイキキのビーチに差し掛かるころには夕方になってきて、夕日がダイヤモンドヘッドを赤く染めていた。海は青く力強かった。その雄大な景色を眺めていたら、よくわからないけど涙が流れた。なんだかんだで、明日には帰国できる。なのでこれがハワイを満喫する最後の時間。そう思うとどこかさびしい気持ちが湧いてきたのと同時に、この本当にいろいろあったこの3日間が自然と思い返されて、辛かったり嬉しかったりした感情がこみ上げてきたのだ。
バスに乗って、ハワイ大学前へ。もはや慣れた道である。ユースホステルに戻る前に、最後にもうひとつやることがある。それは、クギヤさんに40ドルをお返しすること。無事に渡航書も手に入り、あとは翌日空港へ行くまでのタクシー代と食費が少々かかるだけ。手元にはまだ90ドルほど残っているので、40ドルを返しても帰宅できる目処が完全についたのだ。
盗まれたあの日の夜の記憶を頼りに、クギヤさんの家まで歩く。20分ほどして、見覚えのある道に出たところで家を見つけた。そのときクギヤさんはいなかったのだが、同居しているクギヤさんの妹さんがいらっしゃったので、事情を説明して40ドルを渡してその場を後にした。
あとは帰宅の準備を整えるだけ。ユースホステルに戻るとおばちゃんがいたので借りていたバスのフリーパスを返した。すると
おばさん「母があなたのことを心配していたから、帰国の前に電話してあげて」
といって自宅にいるというオーナーおばあちゃんに電話をつないでくれた。
翌朝は5時30分に空港までのタクシーを予約してくれたということで、もうおばあちゃんと会える機会はない。この電話でお別れになる。
ちゅ「もしもし、おばあちゃん。渡航書も手に入れたから、明日ちゃんと帰国できることになったよ。いろいろとありがとう。」
ばあちゃん「よかったね。3日なんてあっという間だったね、もっと長くいればいいのに。」
そう言ってくれた瞬間、あのやさしいおばあちゃんの姿が目に浮んできて、受話器を持ちながら僕はボロボロ泣いた。
ばあちゃん「いろいろあって大変だったけど、またハワイにおいでね。待ってるからね。」
その言葉は、カタコトの日本語だった。僕は何度も何度も、「ありがとう」を繰り返し、
ちゅ「ハワイはとてもエンジョイできたよ。きっとまたハワイに遊びにくるよ。」
と言って、最後の電話を切った。
おばちゃん「母は日系2世なのよ。だからあたしは日系3世になるんだ。日本語もちょっとだけ知ってる」
そう言って、おばちゃんもカタコトの日本語を少しだけ話した。
ハワイを去る前にもうひとつお礼を言わなければならない人がいる。夜の8時を回ったところで、ホテルの公衆電話からクギヤさんの家に電話をかけた。するとクギヤさん本人が電話にでた。
ちゅ「明日、日本に帰れることになりました。クギヤさんのおかげです。どうもありがとうございました。」
クギヤさん「よかったねぇ。気に掛かっていたんだ。妻も喜んでいるよ。」
そう話しているうちに、あの日、見ず知らずの僕に親身になってくれたクギヤさんのやさしさが思い出されて、また涙がこみ上げてきた。
ちゅ「本当にありがとうございました。このご恩は決して忘れません。」
泣くのを必死でこらえながら、心からお礼を言った。僕の中学レベルの英語を、一生懸命になって聞いてくれて、クギヤさんは受話器の向こうでやさしく声をかけてくれた。
クギヤさん「気にすることはないよ。またハワイに遊びにおいで。お元気で。」
僕のハワイの恩人は、最後まで紳士的だった。
これでハワイでやり残したことは何もない。僕は部屋に戻って、荷物をまとめた。一日中歩き回った体は疲れ果てていて、帰国の準備を整えたらあっという間に眠りに落ちていった。
翌朝5時過ぎに起床し、身支度を整えて出発する。外はまだ薄暗い。最後に、ベッドの上に簡単なお礼の手紙を書いて、思い出のたくさん詰まったユースホステルを出発した。そしてタクシーでホノルル空港へいき、8時45分のチャイナエアラインで日本へと飛び立った。
長いフライトを終え、ついに日本に帰ってきた。たった1日帰国が遅れただけなんだけど、なんだか1年くらい日本を離れていたような心地がする。渡航書というアブノーマルな手続きのため、若干時間がかかったが無事に帰国。あまった14ドルを残らず円に両替し、帰宅の途へ。京成線と京浜東北線を乗り継ぎ、ついに帰宅した。そのとき手元に残ったお金はわずか557円だった。我が家に着いたときの達成感と安堵感は、未だかつて味わったことがない感覚だった。
こうして、全8日間に及ぶハワイ旅行は幕を閉じたのである。
今回の旅を通じて、日本という平和で豊かな国で生まれ育ち、安穏と暮らしていた自分がはじめて「生きる」ことに必死になった。そして人のやさしさにたくさん触れることができた。
異国の地で荷物をすべて盗まれるという絶望的な状況に陥ったにもかかわらず、帰国したときには幸せな想いでいっぱいだった。それは、多くのやさしさ溢れる人たちに出会えたおかげだろう。
荷物を盗まれ途方に暮れていた僕に、力を貸してくれたホームレスの人々。
お金のない自分に、何も言わず20ドルを差し出してくれた警察官。
自分と同じように金品を盗まれたにもかかわらず、貴重なお金を分けてくれたカワイさん夫妻。
見ず知らずの僕に「私たちの息子と同じ歳だから」と親身になってくれて、40ドルまでくれたクギヤさん。
まるで自分のことのように心配してくれたユースホステルのオーナーおばあちゃん。
帰国までの手続きをたくさん手伝ってくれたオーナーおばあちゃんの娘おばちゃん。
疲弊しきった僕をやさしく出迎えてくれて、カップヌードルを差し入れてくれたホステル従業員のマット。
さらには、道を教えてくれた女の子たち。臨時クレジットカード発行時に上司と掛け合ってくれたJCBプラザの女性社員の方。無料でフライトを変更してくれたチャイナエアライン。
たくさんの素敵な人々に恵まれたおかげで、自分史上最悪の出来事は、自分史上最高の思い出に変わっていった。感謝してもし尽くせないくらい、たくさんのやさしさを与えてもらった。
そしてこの経験は僕に大切なことを学ばせてくれた。当たり前だけど、普段意識しないようなこと。
僕はちっぽけな人間だから、一人では生きていけない。誰かに支えられて生きている。だから自分も、誰かの支えになってあげなくてはいけない。
それでも僕はダメな人間だから、すぐに傲慢になってしまう。だけど、時折このハワイでのことを思い出して、人にやさしくすることの大切さを確かめたい。
2006年の10月、僕がハワイで体験したウソのような本当の話。書いていたらあの時の状況が思い浮かんで、何度か泣きそうになった。完全ノンフィクション。それどころか、話の多くは簡略化してあるくらい。この経験は、絶対にカタチとして残しておきたいと思ったので書き綴ってみました。
今度は2月に欧州一人旅。ハワイのことは最高の思い出だけど、同じ経験はもう二度としたくないです笑。気をつけていってきます。
aomegane1 at 16:50
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